終戦50年

[Aug 15 1995]

今日はやっぱりこの話.世間が騒いでるのはわかってるが,このことに は触れずにおれない.

50年を節目にと謳って作られた番組の殆んどは戦争の体験を後の世代に伝え るために何かをしなくてはならないと言っているだけ.
これでは例年の番組と何も変わらない.

50年間ずっと考えて来て,何が形になったのかを問う可きではないのか.

今年の4月7日(金)に,小田実氏と久野収氏が(阪神大)「震災と戦後」と云うテー マでETVで対談をしていた.
彼らの言ったことは,当時,僕が地震に関連 したことで強く主張していたことと同じで,印象に残った.

絶対的な責任の追及の甘さ.

これは戦争についてよく問われる日本の甘えの構造.
地震についても何が天災 で何が人災であったかの追及は殆んどされていない.

小田実,久野収両氏の主張は,「ドイツは責任の所在がはっきりしていた.戦 争について,ドイツは悪くなかったと云う人はいるかもしれないが,第三帝国 は絶対悪であったと国民の間では思われている.しかし,日本の場合,天皇が 戦争を始めた訳でもなく,開戦を主張した上官が,暫くすると,部下の過激な 意見を窘める側に回ったり,誰がどこまでの責任があるのか分からない,と云っ た責任の所在の曖昧さと,その追及の甘さが問題である.」と云う様なこと.

日本の政府の対応とそれについての国民の反応を見ている限り,責任の追及を 今更乍らにやろうと云う気持ちはここにはないらしい.

これもETVで一回やってたが,イアン・ブルマが書いた「戦争の記憶」を中心 に,鵜飼哲氏と,ブルマ氏との対談.(現代思想の特集号でも鵜飼哲氏はいろ いろ書いている.)
教科書問題を中心とした,後の世代への戦争の記憶をいか に伝承させていくのかと云うことについての問題提起.

戦争を知らない僕らは,戦前に生まれた親を持ち,小さい頃から「勿体無いの で食べ物を残さない様に」と云うその親の小言から戦争を覗き見た.
被曝二世の友達に見せて貰った被曝者手帳.
終戦の年に,栄養の失調もあって病死した,一族の柱だった曾祖父と祖父.
僕らはqusi-実体験とも言える記憶を持っているのかも知れず,日本の罪につ いての冷静さを兼ね備えた意味で最も責任の思い世代であるかも知れない.

ベトナム戦争時にShurickが中心になってフランス-カナダで起こしたsurvival 運動.
そこでは科学者の倫理も強く問われた.
その挫折からもう20年.
科学者は原爆を作った後,広島を体験して何を反省したのか.
軍事関係から多大な援助を受けて行なわれる研究のproject.
そこで,科学者の良心とは一体なんであると現在主張するつもりなのであろう.

今年は,議論ではなく行動や結果の求められる節目である筈なのに,未だに議 論はloopしたまま.

P.S.
原爆の問題については,仏政府のお蔭(?)で議論も行動も活発になって来たよう なオーストラリアは,ワラビーズのお国やで!


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